最近話題になっている、学術論文の内容の真偽、および撤回について、
ある程度の経験をした立場で、論じます。
話を簡単にするため、僕の専門の数学について、話題を限定します。
まず、学術論文が、学術誌に掲載されるプロセスからお話します。
数学の研究をして、新しい定理を証明した(新しい発見をした)と自分で判断したら、
それを論文にまとめて、自分の好きな学術誌に投稿することができます。
論文の形式上の体裁は、その学術誌の投稿規定というルールに従います。
ルールを守られていない論文は、その時点で、リジェクトされる可能性が大きいです。
さて、投稿規定を守って論文を作成し、学術誌に投稿したとします。
その学術誌には、数人のエディターが勤務しています。
自分の投稿した論文は、まず、そのエディターのうちの一人に回され、
大まかな審査を受けます。
審査の基準は、以下の 2つです:
(1) その論文における結論(発見)が今までにない新しいもので、
なおかつ自明でなく、数学的に価値のあるものである。
(2) その論文における結論は、従来まで知られているものであるが、
その論証に使われている理論ないしはツールが、今までにない、新しいもので、
なおかつ価値のあるものである。
注意として、論文における論証が正しいことは、論文掲載の前提では、
「当たり前のこと」として扱われます。
そのエディターが審査して、この論文がその学術誌に掲載される価値がないとみなされれば、
その論文はリジェクトされます。
エディターの審査の結果、この論文がその学術誌に掲載される価値があるかもしれないとみなされれば、
より厳密な審査のため、その論文は、レフリー(審査員)に回されます。
レフリーは、その論文における研究の分野の専門家で、論文を投稿した著者に対しては、
レフリーの素性は明かされません。いわゆる、匿名です。
審査基準は、先の (1), (2) と同じですが、レフリーは、論文における論証に
誤りがないかどうかもチェックします。
レフリーの審査をパスすれば、その論文は、晴れてその学術誌における掲載を認められます。
レフリーの審査をパスしなければ、その論文は、リジェクトされます。
もちろん、レフリーの審査の結果、論文に修正が要求された後、
学術誌への掲載が認められる場合もあります。
僕が博士院生のときに岡山ジャーナルに投稿した論文も、小さな訂正の後、掲載を認められました。
それが、こちらの論文です:
http://www.math.okayama-u.ac.jp/mjou/mjou52/_12_katogi.pdf
僕の博士論文における定理 1, 2 のみを以って、投稿論文としました。
後述する定理 3 もあったのですが、これは証明と校正が間に合わず、投稿論文に書くのは
見送らざるを得ませんでした。
次に、そうやって掲載された学術論文に、万一誤りがあった場合、研究者の間で、
それがどのように扱われるかをお話します。
学術論文の誤りには、以下の二種類があります:
(3) 学術論文に掲載された定理の statement そのものに、誤りを含む。
(4) 学術論文に掲載された定理の statement は全て正しいが、その証明が間違っている。
僕はこの両方のケースに遭遇しました。
最初に遭遇したのは、(4) の、「結果は正しいが、証明が間違っている」というケースです。
このケースは、非常にデリケートなものでした。
それは、僕が修士課程の院生のころです。
当時僕は、ホモトピー論専門で、s.s. 複体というものについて、勉強をしていました。
その中に、次の定理があります:
『σ を n 次元単体、s を σ の n-1 次元 face, d : s → s を degeneracy map とすると、
d は relative homeomorphism f : (σ, s) → (σ, s) へ、延長される。』
その定理の証明は、僕の読んでいたテキストに、以下の参考文献が掲載されていました。
M. Barrat, simplicial and semi-simplicial complexes (1956)
(ガリ版印刷ノート)
です。
しかし、このノートにおける証明に、誤りがあると、指摘した研究者がいます。
その論文が、これです:
http://projecteuclid.org/euclid.ijm/1256054108
イリノイジャーナルの論文です。
これで解決されていたのならばいいのですが、そうはいきませんでした。
この Weingram の論文における証明にも誤りがありました。
それを指摘したのが、以下の論文です:
https://projecteuclid.org/euclid.ijm/1256052949
当時の僕は、これを読めば安心だと思って、読んでみたところ、
じつは、この Fritsch さんの論文における証明にも誤りがありました。
それを僕が指摘したノートが、以下のものです:
このノートは、実は、イリノイジャーナルに投稿したのですが、
第一段階のエディターのチェックにより、リジェクトされました。
リジェクトの理由は、この定理は、30年も前の定理で、
その重要性は、研究者はみな忘れてしまっている。
というものでした。
当然、僕は納得いかないわけで、当時の指導教官に相談しました。
指導教官の意見は、次の二つでした:
(5) 第一に、すでに掲載された論文の価値は、その結果・結論が正しければ、そこで確定してしまう。
数学的にきわめて重要な未解決問題の証明でもない限り、証明の誤りを修正したことを以って、
学術論文として認められる可能性は低い。もし誤りを指摘するならば、
「証明」ではなく、「結果」の誤りを指摘したほうが、掲載される可能性は、高い。
(6) Fritsch さんの証明の誤りについても、おそらくは、イリノイジャーナルとの内輪で検証され、
正しい証明が与えられている公算が大きい。
これを聞いて、納得行かないと感じる方は、多いと思います。
しかし、基本的に、学術論文は、「結果」の「価値」と「正しさ」が全てです。
少なくとも、当時の指導教官は、そうおっしゃっていました。
また、これは私見ですが、結果であれ論証であれ、誤りのある論文は、
その誤りのみを以って、撤回される可能性は、通常は低いです。
なぜならば、他の研究者によって、学術論文 A の誤りが指摘され、
それが学術論文 B として学術誌に掲載されたとします。
もし、学術論文 A が撤回されたら、学術論文 B は、
どの論文の間違いについて論じているのか、わかりません。
次に、ケース (3) の結果の誤りを含む論文について、お話します。
具体例を挙げます:
以下の論文です:
http://www.math.okayama-u.ac.jp/mjou/mjou48/_10_goncalves-spreafico.pdf
(D.L. Goncalves and M. Spreafico, Quaternionic line bundles overquaternionic projective spaces,
Math. J. Okayama Univ. 48 (2006), 87-101.)
論文の誤りは、この論文の 95 ページ目(pdf 9ページ目)の proposition 7 の statement
(この論文の要旨だと、p.87 (pdf 1ページ目) の Theorem 3 に相当) です。
proposition 7 で、number of non-homotopic class を K(n, λ) (自然数)とすると、
この proposition 7 が正しければ、K(5, 1) = K(5, 9) = 6 になります。
しかし、実際には、K(5, 1) > K(5, 9) です。これは、僕の博士論文の定理 3 です:
(博士論文要旨 p.2 (又は本文 p.57), Theorem 3 を参照のこと。)
この反例を示すのに、多大の労力が必要でした。
少々、このあたりのプロセスをお話します。
Goncalves のこの論文が出版された当時、僕はドクター 1年目でした。
問題の proposition 7 については、この方面の研究では、画期的な結果でした。
なので、この Goncalves の後に続いて、何か結果を出そうという方針で、
僕は研究していました。
ドクター3年になったとき、指導教授はすでに、この論文の論証がおかしいことに気付いていました。
論証のおかしい点は、Goncalves の論文の p.95(pdf 9 ページ目)下から 4行目の
「it is clear that」のくだりと、p.96 (pdf 10ページ目) 上から17 行目から始まる
「In the odd components,」から始まる一文です。
しかし、先に述べたように、論証の誤りを指摘するだけでは研究実績になりません。
そこで、指導教授は、2009年 4月に僕にこういいました。
「問題の命題 7 の証明がおかしいことはわかるが、
いっそのこと、結論が間違っていることを証明できないか?」
僕は 2009 年 4月の時点では、「結論の間違い」については、おそらく間違っているだろう、
と予想して、指導教授とやり取りを続け、幾たびにもわたる修正を重ね、9月ごろ、
「結論の間違い」の証明を完成しました。
修正のたびに、指導教授には相談に乗ってもらい、
「結果が全てだ!」
と、檄を飛ばされたことを覚えています。
僕が岡山ジャーナルに投稿した論文については、投稿したのが 8月ごろで、
この「結果の間違い」(僕の博士論文の定理 3 )については、証明と校正が間に合わず、
ついに出版されませんでした。
指導教授が Goncalves の論文について、先の「It is clear that」の部分など、
『「It is clear」という言い回しを、ああいう風に使ってはいかんのです。』
と言っていたことが印象的でした。
なお、先に紹介したイリノイジャーナルの二つの論文と Goncalves の論文は、
現時点では、どれも取り下げられていません。
以上です。
アカデミーの世界では、「論文の間違い」というものは、このようにして、扱われます。
文責: Dr. Kazuyoshi Katogi