kazz の数学旅行記

数学の話題を中心に, 日々の知的活動の旅路を紹介します.

知性の源

私はプロケーブルさんと一緒に仕事をする中で、

 

eliya というミュージシャンに出会いました。

 

eliya さんとは、何回か通信でやり取りをしたことがあり、

 

そのやりとりの中で、私は自分の人生に、大きな影響を受けました。

 

 

 

このコーナー、

 

eliya 〜 top end artist 〜

 

では、私が eliya さんから受けた影響や、eliya さんの楽曲など、

 

eliya さんにまつわる、様々なことを発信していきたいと思います。

 

 

 

 

今回は、eliya さんから受けた影響の一つについてです。

 

私は長い期間、数学を中心とする学問に接していますが、

 

学問を行う際には、知識・知性というものを避けては通れません。

 

では、

 

『知性の源となるものは何か?』

 

eliya さんから、そう、問われたことがあります。

 

私にはわかりませんでした。

 

 

 

知性の源、それは、

 

『勇気だ!』

 

eliya さんはおっしゃいます。

 

言われてみれば、その通りです。

 

なぜ、知性の源が勇気であるのか、

 

私にはその理屈を説明することはできませんが、

 

感覚的にはわかります。

 

 

 

 

人間の、知性、行動、それだけではなく、

 

情緒、感性、愛。

 

人間が人間らしくある為の、

 

最も根源的なもの。

 

それが、

 

『勇気』

 

なのだ、と。

 

eliya さんは、そう、おっしゃったかったのではないでしょうか。

 

 

 

 

 

2019年3月7日, 16:00 追記

 

eliya さんから、次の、驚くべき、メッセージが届きました。

上記の「勇気」という言葉には、実は、非常に、深い意味があったのです。

 

以下にそのメッセージを転載します:

 

加藤木 様
 
前略
 
 私が語った「勇気」について、ブログに書かれていたので、理由を説明します。でないと誤解する人も出るでしょう。人間には、色々な美徳があります。
 
 それは「愛」であったり、「友情」であったり、「知性」であったりします。それらを生かすには、例外く、「勇気」が必要です。「知性」だけではないのです。
 
 分かりやすく説明します。「友情」の場合です。友達がいじめられている。「勇気」が無いと助る事すら出来ません。むしろ、そのいじめられている場面を、指をくわえて見ていただけだとしたら、「友情」どころか、その真逆の「裏切り」行為になってしまいます。
 
 「愛」もそうです。野宿している、家の無い、死にかけているかたを助けようとします。本気で助けて生活保護まで持ち込もうとすれば、役人と交渉しなくてはなりません。近所の人や、地域にもよりましょうが、多くの町役場や市役所からは、「左翼」というレッテルを貼られて、その後、生きにくくなるでしょう。そういう場合、多くの人は、妥協します。死にそうな人を見て見ぬフリをします。
 
 それを恐れているようでは、単なる「妥協」の人生です。「愛」など到底生かせません。それどころか、それ以前の問題です。
 
 マザー・テレサガンジーキング牧師は、その種の事を、一切恐れなかったのです。だからこそ、彼らの大いる「愛」が、100%、生かせたのです。
 
 このように、いかなる美徳も、「勇気」が無いと活かせないのです。「知性」も、勿論、例外ではありません。
 
私が加藤木さんに語った事は、そういう意味でした。知性も向上していけばいくほど、それを公表すると、世がその知性を理解出来ませんから、学会から認めてもらえないどころか、迫害されます。
 
ガリレオ・ガリレイのように、ウソつき呼ばわりされるかもしれませんね。
 
さらには、中途半端な「知性」ならいざしらず、本物の「知性」に迫れば迫るほど、「これ以上踏み込むと怖い!」という時が必ず来ます。本気で怖いのです。体が震えるほど怖い。これ以上、この領域に踏み込んでしまったら、二度と戻ってこれないかもしれないというほどの恐怖に襲われます。
 
ここで前に進むかどうかは、ここでもまた「勇気」の有無の世界なんです。「勇気」が必要なのは、「愛」と同じですね。

しかしそこを乗り越えていかなくては、本物の「知性」は身につきません。
 
 受験などの低次元な暗記レベルの「知性」と、本物の「知性」は、全くの別物なのです。よって、「知性」も「勇気」なくしては、身につかないと、言い切れます。「知性」を生かす事など、ほど遠い状態に陥ってしまうのです。
 
 「知性」に「勇気」が必要なのは、そういう事情によります。が、知性のみならず「愛」も「友情」も、人間の全ての「美徳」を生かそうと思うと、何事につけても、「勇気」を要求されるのです。
 
 あの時の、私から加藤木さんへの問いかけは、そういう事を意味していました。君自身が、本気で究極の「知性」を追い求ていたからに他なりません。あの言葉の意味は、実は、深い意味を含んでいました。
 
敬具
 
 
以上でいいでしょうか。誤字、脱字があったら修正しておいて下さい。
 
 
/eliya

 

 

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転載終わり。

 

eliya さんからのメッセージを見て、なるほど、こういうことか、と、私は考えさせられました。いや、なるほど、というよりも、『やはり』というべきかもしれません。

 

私はこれで、迷うことなく、自分の信ずる道を進むことができます。

 

 

posted by Kazuyoshi Katogi