東洋経済オンラインの記事に、こんなものがありました
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20190427-00278841-toyo-bus_all
東大生のノートの取り方、だそうです。
キーワードは『再現性』
私自身も、ノートや記録につける際に、後からその記録を見て、
その知識を自分の頭の中で再現できることを目的として、
その記録を取っています。
だから、ノートに記録した知識が、
後になって、自分の記憶の中で薄れてしまってもいいのです。
そのノートのあの辺にあんなことが書いてあったなあ、と、ぼんやり覚えていれば、
必要な時にそのノートを見ることにより、その知識を速やかに再現できます。
(これは『ノート』だけではなく、『専門書』でも同じです。)
知識というものは、丸暗記が目的ではなく、あとで、その多くを忘れても、
いつでも、その知識にアクセスできること、
そこが重要であると思います。
従って、ノートに取る記録は、あとでそれの記憶が薄れたときに、
自分でその記録を読んで、その知識を速やかに、自分の頭の中に、
再現できるようなものでなくてはなりません。
少なくとも、あとでそのノートを何度読んでも、どのような根拠で
そんなことが成り立つのかがさっぱりわからない、
と言うような書き方ではダメです。
特に、ノートに書いたときだけわかっていればいい、と言う考えが、
最もダメですね。