今回の数学エッセーでは, 数学の本や論文によく現れる,
「標準的に同型」ないしは「標準的な同型」
と言う用語について解説したいと思います.
「同型」と言う言葉だけならば私たちは即座に,
誤解を伴わずに理解できますが,
これに「標準的に」または「標準的な」という修飾語がつくと,
曖昧でわかりづらいですね.
僕は今までたくさんの数学書を読んできましたが,
「標準同型」と言う言葉がたくさん現れます.
この章は線型代数の章で, 例えば和訳の方ですが,
p.127 には, 標準同型が三つ, 定義されています.
ここで, 同型写像の定義を与えさえすれば標準的と呼んでいいか,
となると, ブルバキの著書でもそれは否定的です.
例えば代数 第 7 章(和訳の第 5 巻)p.81 の命題 8 で,
D(M) は M に同型であり, とありますが,
その但し書きで,
「この同型は一般的には, 標準的なものではない」
と明白に書いてあります.
では, 標準的に同型(標準的な同型)とはなんだろうか,
と言う疑問が湧いてくるわけで,
次の問題が出てくるわけです:
「ある数学的構造種 Σ を固定し,
種 Σ の構造の与えられた二つの集合 E, F
が標準的に同型であるとは,
E と F の間にどのような同型写像が存在するときか?」
実は, ブルバキの数学原論では, この問いには答えていません.
読者に対して「空気読め」「忖度しろ」と言う態度なのでしょうね.
しかし, ブルバキの著書をよく読むと,
ある一定の法則性があることに気づきます.
二つ, 例をあげましょう.
K を可換体, E を K 線型空間,
E^* を E の双対,
E^{**} を E^* の双対とする.
B を 有限次元 K 線型空間と K 線型写像からなる圏, とする.
A から A への二つの関手 G, G' を次のように定める:
G は A から A への恒等関手,
A の対象 E, F,
E から F への A における射 f に対し,
G'(E) = E^{**},
G'(f) (u) (v) = u (v \circ f )
for u ∈ E^{**}, v ∈ F^*
とおく.
この時, ブルバキでは, B の任意の対象 E に対して
G'(E) は再び B の対象で, G(E) = E と G'(E)
は標準的に同型であるとしています.
この時の標準的な同型 c_E : E → G'(E) は, ブルバキでは,
B の任意の対象 E と x ∈ E, v ∈ E^* に対し,
C_E (x) (v) = v (x)
とおくことにより, 定義されています.
ここで大事なのは c_E の持つ自然性で,
f : E → F を有限次元 K 線型空間の間の K 線型写像
とするとき, 次の図式が可換になります:
c_E
G(E) → G'(E)
G(f) ↓ ↓G'(f)
G(F) → G'(F)
c_F
つまり, E \mapsto c_E
は, B から B への関手とみなした時の
G, G' の間の自然同値なのです.
この自然変換の性質も, ブルバキにはきちんと書いてあります.
二つ目の例:
やはり, ブルバキの代数第 2 章からの引用です.
簡単のために, K を可換体, A を有限次元 K 線型空間と
K 線型射像からなる圏, A* を A の双対,
すなわち A* の対象は A の対象と同じで,
A* の射は, A の任意の射 f : E → F に対し,
f を A* に於ける F から E への射とみなします.
A* × A × A* × A から A への関手 B, C を
(E, F, G, H) を A* × A × A* × A の対象とするとき,
B(E, F, G, H) = Hom_K (E; F) (×) Hom_K (G; H),
C(E, F, G, H) = Hom_K ( E (×) G ; F (×) H ),
f ∈ Hom_K (E; F), g ∈ Hom_K (G; H)
に対し, f○g ∈ Hom_K ( E (×) G ; F (×) H) を
x∈E, y∈G に対し,
(f○g) ( x (×) y ) = f(x) (×) g(y) で定義し,
A* × A × A* × A の任意の射
(e, f, g, h) : (E, F, G, H) → (E', F', G', H')
に対しては
b = B(e, f, g, h), c = C(e, f, g, h) は
b( j (×) k ) = ( f \circ j \circ e ) (×) ( h \circ k \circ g ),
c(v)= ( f○h ) \circ v \circ ( e○g )
for j ∈ Hom_K ( E ; F ), k ∈ hom_K ( G ; H ),
v ∈ C(E, F, G, H)
で定義します.
そうすると, 任意の j ∈ Hom_K ( E ; F ), k ∈ Hom_K ( G ; H ) に対し,
j (×) k を j ○ k に移す, B(E, F, G, H) から C(E, F, G, H) への
ただ一つの K 線型写像 T_(E, F, G, H) は,
B(E, F, G, H) から C(E, F, G, H) への
標準的な同型を定めます.
この場合の「標準」の意味も,
(E, F, G, H) \mapsto T_(E, F, G, H)
が B から C への自然同値になっているということです.
つまり, A* × A × A* × A の任意の射 f : X → Y に対し,
以下の図式が可換になると言うことです:
T_X
B(X) → C(X)
B(f) ↓ ↓C(f)
B(Y) → C(Y)
T_Y
つまり, 標準的に同型と言う考え方の意味するところは,
(単にある構造を持った二つの集合の間の同型写像を
定義すればいいということではなく)
「ある構造を持った集合の圏 C から 別の構造を持った集合の圏 D
への二つの関手 G, F が与えられたとき,
任意の X ∈ C に対して G(X) と F(X) が「標準的に同型」であるとは,
G と F の間の自然同値 μ が存在することである.」
ということになります.
(「集合」を「関手」で,「同型」を「自然同値」で
置き換えればいいのです.)
この時, 任意の X ∈ C に対して, 圏 D における同値射
μ_X : G(X) → F(X)
のことを, 我々は,
「G(X) から F(X) への標準的な同型」
と呼んでいるのです.
ここで, G とか F は数学上取り扱う問題の解決のための道具としては,
ケースバイケースですが, 様々な関手が比較されます.
上にあげた例の他に, 僕の専門の代数トポロジーから
基本的な例を一つあげます:
K を単体複体対と単体写像からなる圏,
関手 H を整数係数の単体ホモロジー理論,
H' を整数係数の特異ホモロジー理論とし,
H' を K に制限したものを G とします.
そうすれば, 任意の単体複体対 (A, B) と 任意の自然数 p に対し,
H_p (A, B) と G_p (A, B)
は「標準的に同型」となるわけですが,
その意味するところは,
H から G への自然同値が存在する, ということです.
(よく知られたように, その自然同値は,
H, G の boundary operator とも可換になるように
定義されています.)
つまり, H, G を K から可換群の圏への関手と見た時,
H と G は自然同値だということです.
最近では, 「標準的に同型」と言う言い回しを使わないで,
「自然に同型」と言う言葉を使う本が多いと思います.
「標準的な同型」と言う用語についても同様で,「自然な同型」
と言う用語に置き換わっていると思います.
岩波基礎数学選書で, 服部晶夫先生の「位相幾何学」でも,
「自然に同型」
と言う言葉を使っていますが, それは自然同値の意味です.
こういう, 二つの関手の比較は,
代数トポロジーにおいて, 頻繁に行われています.
もちろん, じゃあ, 一般的に,
「二つの関手としてどのようなものを選べばいいのか?」
という疑問を呈する人もいますが,
それは全く別の問題であり,
標準的に同型と言う考え方の大事なところは,
数学の問題を扱う際の道具としての関手を
適切に選ぶための方法論を提示しているのではなく,
数学の問題上, 二つの関手が出てきた時,
それらの間に自然同値が定義できるかどうか
と言うことを問題視する立場が重要なのです.
もし一般に, 数学の問題に応じて
どのような関手を道具として選べば適切であるか,
その方法論が発見されれば,
それは世紀の大発見となるでしょう.
この点については, 圏や関手だとわかりづらいので,
集合論の言葉で置き換えれば, 次の例があります.
集合論では, 濃度について, 次のような定式化があります:
E, F を二つの集合とする時,
E と F の間に全単射が存在する時に,
E と F は等濃であると言う.
ここでももちろん, 等濃と言う概念の大事なところは,
数学の問題上, 二つの集合が出てきた時に,
それらの間に全単射が存在するかどうかを
問題視する立場が重要なのであり,
一般論として, 数学の問題を扱う際に
道具としてどのような集合を選べば良いかについて,
その方法論を提示しているものではないのです.
もちろん, 数学の一般論として,
数学の問題を解決する際に,
道具としてどのような集合を選べば適切であるのか,
その方法論が発見されれば,
それはもはや関手どころではなく, 人類未曾有の大発見となるでしょう.
以上で標準的に同型, 及び標準的な同型と言う用語について,
僕なりの解説を終わります.
文責: Dr. Kazuyoshi Katogi