今日は, 数学をする上では紛らわしい, 記号の区別についてです.
以前も、同じようなことを書いたかも知れません.
E, F を集合, f : E \to F を写像とします.
集合論的には, f = (G, E, F) なる三つ組で, G \subseteq E \times F
であり, 任意の x \in E, y, z \in F に対し, (x, y) (x, z) \in G ならば,
y = z であり, 任意の x \in E に対し, y \in F が存在し, (x, y) \in G
となります. ただし, (x, y) は x と y の順序対です.
このとき, 任意の x \in E に対し, (x, y) \in G なる ただ一つの y \in F
を, f(x) と書き, この f(x) を, 写像 f の x における値, と呼びます.
さらに, A \subseteq E に対し,
f<A> = { f(x) | x \in A}
とおき, f<A> を, 写像 f による, A の像と呼びます.
一般に、混乱を招かない限り, f<A> のことも f(A) と書くのが慣例ですが、
混乱を招く場合について, 今回は論じます.
[1] 一般に, 順序数 a に対し, a は推移的ですから,
x \in a ならば x \subseteq a となります.
よって, f : a \to F を写像とするとき, 任意の x \in a に対し,
f(x) と f<x> は, 区別して書かなくてはなりません.
[2] 斎藤正彦『超積と超準解析』における, 善良超フィルターの定義において,
X をフィルターとし, Y を集合からなる集合とするとき,
写像 f : X\to Y が 乗法的であるとは, 任意の x, y \in X に対し,
f(x \cap y) = f(x) \cap f(y)
であることと書いてあります.
この f(x) とか f(x \cap y) は, f<x> とか f<x \cap y> のことではなく,
写像 f の, x, x \cap y における値のことです.
さらに, g : X \to Y が増加写像であるとは, 任意の x, y \in X に対し,
x \subseteq y ならば, g(x) \subseteq g(y)
であることとあります. ここでの g(x), g(y) も, それぞれ, 写像 g の
x, y における値のことです.
さらに, 任意の 増加写像 g : X \to Y に対し, 乗法的な写像
h : X \to Y が存在し, 任意の x \in X に対し, h(x) \subseteq g(x)
となるとき, 対 (X, Y) を善良と呼びます.
このときの, h(x) g(x) も, それぞれ, 写像 h, g の x における値です.
ちなみに, 無限集合 I 上の自由超フィルター F で,
組 (F_0(I), F) が善良なものを, 善良超フィルターと呼びます.
ここに, F_0(I) は, I における有限集合の補集合の全体
(I 上のフレッシェフィルター) です.
このように, 写像 f : E \to F の x における値と, f による A \subseteq E
の像を区別しないと, とんでもない間違いを犯すことがあるのです.
文責: Dr. Kazuyoshi Katogi